
ということに気付かされて、
しあわせに目覚めた翌日

さて。
私達が八戸にいたときのことです。
青森県は新郷村の川代小学校のPTAさんとお知り合いになり、
「過疎の影響で今年度いっぱいで閉校になってしまう私達の小学校が、
28日(日)に閉校式を行うので、子供たちの前で歌ってくれませんか。」
という、とってもありがたいお誘いを受けました。
もちろんです


式に参加させていただくことをきっかけに新曲を作りたい

という私達の思いも高まって、
ここ数日、自転車を漕ぎながら、まさしく「あーでもない、こーでもない」と言いながら進めてきましたが、
やっぱりある程度集中して取り掛かりたい

ってことで、覚悟を決めました。
出来るまで、この街(一関)を出発しない

・・・でも、滞在先はビジネスホテル。
小さ〜い音で、こっそ〜り、ギターを弾いては小声で歌い・・・
夜

・・・できてないじゃん

ということで、更に「あーでもない、こーでもない」を繰り返し、
・・・おやっ


っていうのが見えて、ひとまず、脳みそを休ませることに

タイトルは「このまちがさびしくならないように」




曲が何となくできたねぇ


さてさて、これから向かう7都道府県の中でどんな取材を展開しようか、
など、作戦会議をし、調整をしているうちに、あっという間に暗くなってきました


といっても、このころは16:30で、もう「暗いな」って感じでしたね

それでも、めげてはいられません

出発するよ


出発して、二時間ほどで宮城県に突入


結構暗い道を進んできました

「このまちがさびしくならないように」について、少し書きます。
この旅の中で感じたこととして、
「過疎」という問題がものすごく進んでいる、ってこと。
特に、太平洋側よりも、日本海側の方で顕著に感じてきました。
未婚のまま旅をしながら、安定よりも挑戦を選んだ私に、
具体的に「必ず結婚して地元に帰って、親と暮らしなさい」とさとす、
自分の親と同世代のおじさんに出会いました。
「せっかく子供を大事に育てて大学まで出してやっても、
地元を離れてみんな都会に取られてしまう」という悲しい叫びも耳にしました。
同時に「ここには仕事も遊びも何もないから仕方ない」という思いも聞きました。
私には、何が正しいとも思えないのです。
進路について考えるとき、大きく分けて二つの夢の見方があるように思うのです。
ひとつは、この場所にとどまることに夢を見出すこと。
もうひとつは、ここではないどこかで夢をかなえること。
そういった意味で、田舎は田舎であり続けることを強要され、
都会は都会であり続けることを強要されていると、私は思っています。
※これは、どちらがより優れているか、とか、どちらがより豊かである、とか、
そういった判断自体が人の夢の対象の中にしかない、という意味で、
都会と田舎、という分かりやすい言葉で言い表しているに過ぎないことなので、
この言葉使いが気に入らない方には、ごめんなさい。
それで、
私は東京っていう都会の場所に行ってみたかったので、
東京の大学に進学するぞ、という、ただそんな体でやってきたのですが、
そのことが間違っていたなんて少しも思っていません。
ただ、自分の育った街がさびしくなっていくのは、私にとってもさびしいことで、
さびしくなったのはお前のせいだ、と誰かに言われたら、
「すみません」としか言いようがないのですが、
ただ、今の私に出来ることってのは、
なにか作品とかを通じて、
「お前のせいだ」と付きつける人のこころに寄り添えるようなものを作ることなんだろうな、
と信じているわけです。
そんなことじゃ誰も救われたりしないよ、って声も、私の中にこだまします。
でも、やります。
曲を聞いているほんの4、5分の時間だけでもいい、
いろんな思い出が誰かの心の中を駆け巡ることができるように。
そういう思いに重なるような言葉とメロディを、
いろんなことを一緒に体験してきた相方・ハマちゃんと共に選ぶことができたかな、
と思っています。
次に発表するミニアルバムに収録できたらな、と思っています

どうぞよろしくです

ワカコ
自転車でリアカーを引きながら全国一周ライブを行ってます。「UCHI-BENKEI」のはたを見かけたらお声掛けください!